母親が子育てという名の下で苦労しているのはなぜか。
なぜ楽しいはずの子育てをダメにしてしまうのか。
それは、子どもを自分の思いどおりにしようとするからです。
子育てとは、じつは難しくない。
子供が伸びていきたい方向に伸ばしてやればいい。
逆にいえば、伸びたい方向に伸びていくのを邪魔しないこと。
親の思いを押し付けないこと。
桜を咲かせる木に、いくら「桃の花を咲かせなさい」と言ってもダメ。
桜の花を咲かせようと生まれてきた木は、桜です。
牡丹に向かって「芍薬を咲かせろ」と言っても無理、
牡丹を咲小せようと思って生まれてきた木は、牡丹です。
しかし、そう言う親がけっこう多いのです。
木を枯らさないように水をやる、陽に当てる、カンカン照りを避けてやる、
冬は部屋の中に取り込む、命を守ってあげる。
それが親の最大の仕事です。
子どもがどこを目指そうと、
どの方角に進もうと、
親がゴシャゴチャ言わないことです。
バラを挿し木して、その挿し木に向かって、
「愛しているよ」とずっと言っていると、
その三代目にトゲのないバラができるという話があまます。
では、バラよりも高度な機能を持っている人間に向かって、
「愛しているよ」と言い統けていったらどうなるか。
子どもに対してそれをずっと言い続けたらどうなるか。
イライラしている子ども、他人に対してすごく攻撃的な子どもに、
欠点を指摘するのではなく、
「愛しているよ」と言い続けたら、
その子どもは革命的に変わるかもしれません。
すべての子どもは、百%天才で生まれてきます。
子育ての本質は、その子の芽を摘まないことです。
あれこれ手を出して修正を加えるのではなく、
子どもがキラリと見せる片鱗を喜んであげることです。
「あなたのこういうところがステキよ」とか
「この部分がすごいね」と、
その箇所を見つけ肯定してあげることです。
そういうふうに子どごもと接していると、
子育ては、とても楽しいものになります。
現実は、その芽を親が摘み取っている。
今、親である人たちも
自分の天才の茅を、自分の親によって摘み取られた可能性がある。
だからといって、恨んではいけない。恨んではダメ。
親を恨むと、自分に返ってきます。
そこに気がつけば、
自分の子どもには、
その天才の芽を
摘み取らないようにしてやることができるはずです。
引用元
「淡々と生きる」
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